大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和43年(ネ)1190号 判決 1974年12月24日

昭和四三年(ネ)第一、一二四号事件控訴人

同   年(ネ)第一、一九〇号事件被控訴人

株式会社インターナショナル・ミュージック・パプリツシヤーズ

右代表者

北川孫次

昭和四三年(ネ)第一、一九〇号事件被控訴人

北川孫次

右両名訴訟代理人

井上準一郎

外二名

昭和四三年第(ネ)一、一二四号事件被控訴人

同   年(ネ)第一、一九〇号事件控訴人

鈴木道明

昭和四三年(ネ)第一、一二四号事件被控訴人

同   年(ネ)第一、一九〇号事件控訴人

(旧商号日本音楽出版株式会社)

株式会社 日音

右代表者

太原幹夫

右両名訴訟代理人

酒巻弥三郎

外二名

主文

一  本件各控訴を棄却する。

二  昭和四三年(ネ)第一、一二四号事件の控訴費用は同事件の控訴人の負担とし、同年(ネ)第一、一九〇号事件の控訴費用は同事件の控訴人等の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  昭和四三年(ネ)第一、一二四号事件(以下「甲事件」という。)

控訴人は、「一、原判決を取消す。二、被控訴人等は連帯して控訴人に対し金九六六万四五九五円およびこれに対する昭和四一年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決ならびに第二項につき仮執行の宣言を求め、被控訴人等は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  昭和四三年(ネ)第一、一九〇号事件(以下「乙事件」という。)

控訴人等は、「一、原判決を取消す。二、被控訴人等は連帯して控訴人等に対し各金五〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年七月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決および第二項につき仮執行の宣言を求め、被控訴人等は「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。

第二、甲事件の請求原因

一(一)  ハリー・ウオレン作曲の「The Boulevard of Broken Dreams」(夢破れし並木路)と題する原判決添附第一楽譜記載の楽曲(以下「A楽曲」という。)は、米国の出版社レミツク・ミユージツク・コーポレーシヨンが昭和八年(一九三三年)米国において最初に発行し、同国著作権法の規定に従つて著作権の登録をし、昭和三五年(一九六〇年)更新登録をした楽曲である。この楽曲は、万国著作権条約第二条第一項により、わが国においても著作権法(本件では明治三二年法律第三九号旧著作権法)の保護を受ける音楽著作物である。

(二)  控訴人は音楽出版事業を営む会社であるが、昭和三五年九月一日、前記レミツク・ミユージツク・コーポレーシヨンが著作権を保有する楽曲について、その著作権の譲渡契約を締結する代理権を有するミユージツク・パブリツシヤーズ・ホールデイング・コーポレーシヨンとの間に、譲渡地域を日本国内、期間を同日から昭和三七年一二月三一日までとする著作権譲渡契約を締結し、これにより控訴人はA楽曲のわが国における著作権者となつた。その後この譲渡契約は、当事者双方の合意により、同一条件で更新され、期間は昭和三九年一二月三一日まで延長された。

(三)  右契約には控訴人が契約期間内に日本国内で楽譜を出版した場合には、その楽曲に対する著作権はさらに一年間延長するという特約があり、控訴人は昭和三九年一二月三一日までの契約期間内にA楽曲の楽譜を出版したから、A楽曲については契約期間が一年間延長され、控訴人のA楽曲に対する著作権は昭和四〇年一二月三一日まで存続した。

二  A楽曲は、昭和八年(一九三三年)米国においてヒット曲となり、その後も引続き人気楽曲であつた。ただし、A楽曲が演奏され、レコードに録音されるのは、前記第一楽譜の第一三小節以下のリフレインの部分(以下この部分を「甲曲」という。)だけであり、この部分が米国内において有名となつた。

第二次大戦後わが国各地のキヤバレー、ダンスホールのようないわゆる進駐軍慰安施設でも、米国兵士の好みを反映して、A楽曲特に甲曲はスタンダードナンバーズの一として、くり返し演奏され、これらの慰安施設に関係していたわが国の音楽家の熟知するところとなつた。さらに、A楽曲特に甲曲は、楽譜の出版、レコードの発売、ラジオ、テレビによる放送を通じて、一般の音楽家のみならず一般大衆にも広く知れ渡るに至つた。控訴人もA楽曲の楽譜の出版およびレコード化によりその普及に資したのである。

三  被控訴人鈴木は株式会社東京放送のテレビ編成局演出部に勤務し、昭和三八年当時は第二演出部長の地位にあり、平素音楽番組の製作を担当していた。また、同被控訴人は、昭和二二年頃横浜にあつた進駐軍慰安施設「コロニアル・クラブ」における音楽演奏グループに関係し、進駐軍登録スイングバンド「スイング・トーキヨー」のメンバーであつたことがあり、昭和二七年株式会社東京放送(当時の名称はラジオ東京)入社後レコード係をつとめたこともある。したがつて、同被控訴人はA楽曲少くとも甲曲のように日本国内ですでに熟知されていた楽曲には当然接したことがあり、その存在を知つていたはずである。しかるところ、同被控訴人は、昭和三八年頃、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」と題する原判決添附第二楽譜記載の楽曲(以下「B楽曲」という。)のうち、その第五小節から第四四小節までの歌詞につけられた旋律(以下「乙曲」という。)を作成し、前田憲男が作成した伴奏および前奏部分を加えたB楽曲を自己の創作物として公表した。しかし、乙曲は、同被控訴人が、次項に説明するとおり、甲曲の本質部分である主要旋律を基礎としてその主題を設定し、甲曲の楽想(旋律処理方法)に依拠してこれを展開して作成したものであるから、乙曲を含むB楽曲は、甲曲を含むA楽曲を改作したものである。したがつて、同被控訴人の右の行為は控訴人のA楽曲に対する著作権(改作権)を侵害したものである。<以下略>

理由

第一甲事件の判断

一請求原因第一項(一)および(二)の事実、同第三項のうち、被控訴人鈴木が昭和三八年頃乙曲を作成し、前田憲男作成の伴奏および前奏部分を加えたB楽曲を自己の創作物として公表した事実は当事者間に争いがない。そして、原審における同被控訴人本人の供述によれば、同被控訴人が乙曲を作成したのは同年六月以前であることが認められる。

二本件の主要の争点は、乙曲がA楽曲のうち甲曲の改作物であり、被控訴人鈴木がこれを作成することにより控訴人のA楽曲に対する著作権((改作権)を侵害したか否かである。

ところで、著作権は、特許権が発明の「実施をする権利を専有」(特許法第六八条)することを内容とするのに対し、著作物を「複製スルノ権利ヲ専有」(旧著作権法第一条)することを内容とする。そして、ここに「複製」とは複製者が著作物の存在、内容を知つていることを前提とし、「複製」の一態様である改作も同様である。したがつて、著作権(改作権)の侵害は、特許権の侵害と異なり、侵害者が著作物の存在、内容を知つていることを要件とする。そうだとすると、既存の著作物と偶然に内容が一致しまたは類似するものを作成しても、既存の著作物の存在、内容を知らず独自に作成した場合は、これを知らなかつたことに過失があるかどうかを問題にするまでもなく、著作権(改作権)の侵害にならないと解するのが相当である(大審院明治三八年五月五日判決参照)。

そこで、被控訴人鈴木が乙曲を作成した当時A楽曲の存在、内容を知つていたか否かについて以下に判断する。

三(一)  (A楽曲が昭和三八年当時わが国において有名であつたかどうかについて)

<書証>によれば、A楽曲は、米国においては、後に認定するように昭和八年(一九三三年)製作の米国映画「ムーラン・ルージユ」の主題歌として使用されて以来、幾種類かのレコードが発売され、楽譜が出版されており、昭和三八年(一九六三年)当時においても或る程度有名であつたことが窺われる。わが国においても、控訴人が前述のとおりA楽曲の著作権者となつた後である昭和三五年一〇月から、控訴人の許諾を受けたレコード会社によつて、A楽曲のうち甲曲の部分を吹込んだレコードが製造発売され、その昭和三八年一二月までの販売数量(正確にはレコード製造工場から出庫されたレコードの枚数)は昭和三五年一八四枚、昭和三六年二八四四枚、昭和三七年八七七三枚、昭和三八年二〇四〇枚合計一万三八四一枚であつたことが認められる。また、ユニバーサル・レコード・カンパニー・リミテッドが東京で発売した甲曲のレコードであることが当事者間に争いがない検乙第一号証によれば、右に認定したほかに甲曲のレコードが昭和三八年までにわが国で発売されたことが窺われないではないが、その時期および発売枚数を窺うことのできる証拠は何もない。そして、これらのほかにA楽曲を吹込んだレコードが昭和三八年までにわが国で製造発売された事実を認めるに足りる証拠はない。

甲曲のレコードである検甲第一号証、検乙第二号証のうち、前者は昭和三九年以後に発売されたことが明らかであり、後者は米国において発売されたものであることが当事者間に争いがないから、これらの検証物は上記認定を左右するものではない。また、控訴人代表者は、原審および当審において、A楽曲は昭和二六、七年頃わが国で公開された映画「ムーラン・ルージユ」の主題歌として有名になり、各レコード会社がA楽曲のレコードを発売した旨供述する。しかし、<証拠>によれば、A楽曲は昭和八年に製作され、昭和九年にわが国で公開された米国映画「ムーラン・ルージユ」の主題歌として使用されたが、この映画はわが国では興業的に成功せず、A楽曲を吹込んだレコードは当時わが国では発売されなかつたこと、昭和二八年わが国で公開され興業的に成功した英国映画「ムーラン・ルージユ」にはA楽曲は使われていないことが認められる。したがつて、前記控訴人代表者の供述およびこれに沿う当審証人紙恭輔の証言はいずれも採用することができな

次に、控訴人が昭和三五年九月一日から昭和三九年一二月三一日までの間にA楽曲の楽譜を出版したことは当事者間に争いがないところ、原審証人近藤武の証言、原審における控訴人代表者の供述と弁論の全趣旨によれば、控訴人がA楽曲の楽譜を出版したのは昭和三九年三月であることが認められ、これに牴触する同代表者の当審における供述は採用できない(この点に関し、原審では控訴人が昭和三七年中にA楽曲の楽譜を出版したことが当事者間に争いがなかつたが、これは間接事実の自白であるから被控訴人等を拘束しない。)。このほかに、A楽曲の楽譜が昭和三八年以前にわが国において出版されたことを認めるに足りる証拠はない。

さらに、成立に争いがない甲第三八号証によれば、A楽曲が昭和三八年までにわが国において放送されたことが窺われないではないが、その時期、回数等を明らかにすることのできる証拠は何もない

以上のとおりであるから、前認定のレコードの販売数量に基づいて考えると、A楽曲が米国において有名であつたことを考慮しても、A楽曲またはその一部である甲曲が昭和三八年当時わが国において音楽に関心のある者ならば誰でも知つている程度に有名であつたとは認めることができない。しかも、原審鑑定人服部良一および当審証人古関裕而の各供述を総合すると、その当時A楽曲は音楽の専門家または音楽に関する業務に従事している者の全員に知られていたわけではなく、一部の専門家または愛好家に知られていたにすぎないと推認することができる。

(二)  (被控訴人が乙曲を作成する前にA楽曲に接したかどうかについて)

被控訴人鈴木が株式会社東京放送のテレビ編成局演出部に勤務し、昭和三八年当時第二演出部長の地位にあつたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、同被控訴人は昭和三八年当時音楽番組を含む約二〇本のテレビ番組の企画、製作に責任を負つていたこと、株式会社東京放送には内外のレコード、楽譜のぼう大な量のコレクシヨンがあること、同被控訴人が同会社(当時の名称は株式会社ラジオ東京)に入社した昭和二七年頃約三ケ月レコード係をつとめたこと、同被控訴人は同会社に勤務するかたわら流行歌の作詞、作曲を行い、昭和三八年までに乙曲のほか「はてしなき恋」、「銀座ブルース」、「おんなの涙」、「星に希いをかけるとき」等約一〇曲を作曲し、その一部を公表していたことが認められる。しかし、前認定のA楽曲が昭和三八年当時わが国において知られていた程度に照らせば、同被控訴人の勤務していた株式会社東京放送が放送したテレビ番組にA楽曲が使用されたことがある等特段の事情の主張、立証のない本件では、同被控訴人の上記のような地位、経歴だけから、直ちに昭和三八年当時A楽曲の存在を知つていたと推認することはできない。

また、控訴人は、同被控訴人は昭和二二年頃音楽家として進駐軍の慰安施設に関係したことがある旨主張し、成立に争いがない甲第二一号証および同被控訴人本人の前記供述によれば、そのような事実がうかがえないではない。しかし、このことだけから同被控訴人が当時既にA楽曲に接したことがあると推認することもできない。

のみならず、原審鑑定人服部良一の鑑定の結果、当審証人池内友次郎の証言、原審における被控訴人鈴木本人の供述および弁論の全趣旨に照らして考えると、一般に乙曲のような流行歌の歌曲(乙曲が流行歌の歌曲であることは当事者間に争いがない。)に用いられる旋律は、一般大衆が歌いやすい平易なものに自ら限定され、特にその音域、長さが制限されるため、他の楽曲に比べて偶然の類似が生ずる可能性が少なくないものであると認めるを相当とする。

以上のとおりであるから、被控訴人鈴木が乙曲を作成する前にA楽曲に接した蓋然性は大きいとはいえない。そうだとすると、乙曲が甲曲を知らなければ作成できない程度に甲曲に類似していることが認められない限り、乙曲を作成した当時、被控訴人鈴木がA楽曲の存在、内容を知つていたと認めることはできない。

四(一)  そこで、乙曲が甲曲を知らなければ作成できない程度に甲曲に類似しているかどうかについて、審究する。

原判決添附第一楽譜をみると、甲曲はニ短調(ただし、原審鑑定人服部正の鑑定の結果によれば後記第三部分中第二〇ないし第二三小節はト短調)、二分の二拍子で、八分音符を中心として構成され、全部で三三小節であるが、第一ないし第八小節の第一部分、第九ないし第一六小節の第二部分、第一七ないし第二四小節の第三部分、第二五ないし第三三小節の第四部分から成り、第一、第二、第四部分は最後の一音を除き同一である。この第一部分の冒頭の第一、第二小節を以下「第一動機」これに続く第三、第四小節を以下「第二動機」という。この第一、第二動機(控訴人主張の旋律その一に相当する。)が第二、第四部分でくり返される。また、第三部分の最初の第一七、第一八小節(控訴人主張の旋律その二の前半に相当する。)を以下「第三動機」という。

原判決添附第二楽譜をみると、乙曲はハ短調、二分の二拍子で、四分音符を中心として構成され、全部で四〇小節であり、第一ないし第一六小節の第一部分、第一七ないし第三二小節の第二部分、第三三ないし第四〇小節の第三部分から成る。この第一部分の冒頭の第一ないし第四小節を以下「第一動機」、これに続く第五ないし第八小節を以下「第二動機」という。この第一動機が第三部分で二度くり返される。また、第二部分の最初の第一七ないし第二〇小節を以下「第三動機」という。

(二)  ところで、控訴人は、甲乙両曲の第一ないし第三動機を構成する各旋律は同一または酷似している旨主張するので、以下各旋律を比較してみる。

控訴人は、右比較の前提として、音楽は理論上旋律、和声、節奏、形式の四要素からなるが、二個の楽曲の比較はこのうち旋律を基準にして行うべきである旨主張し、被控訴人はこの四要素を総合して比較すべきである旨主張する。しかし、被控訴人等の指摘するとおり、日常用語としては、歌曲のうち伴奏、前奏、後奏を除いた部分を旋律(メロデイー)ということが明らかであり、弁論の全趣旨によれば、控訴人主張の旋律はこの意味のものであると解される。そうすると、この意味の旋律には、前述の四要素のうち和声、節奏が当然に含まれており、このことは当審証人古関裕而の指摘するところである。また、楽曲全体の旋律には形式が当然に含まれることが明らかである。そうすると、この点に関する当事者双方の主張は実質的に同じであるといわなければならない(以下旋律という用語を、節奏、形式と特に区別する場合を除き、右の日常用語と同じ意味に用いることとする。)。

さて乙曲の第一ないし第三動機を構成する旋律を、節奏を二分の一にしニ短調に移調して、甲曲の第一ないし第三動機を構成する旋律と比較すると、第一動機の八音中最初の五音は同じであり、最後の一音は一オクターブ違うが同音である。第二動機の八音は同じである。第三動機の八音中最初の七音は同じである。甲曲およびB楽曲を吹込んだレコードまたは録音テープであることが当事者間に争いがない検甲第一号証、第三ないし第一五号証、検乙第一ないし第六号証を再生して両曲の演奏を聞いてみると、両曲が似ているような印象を受けるが、これは主として両曲の第一ないし第三動機が右に認定した程度に類似しているからであるといいうる。

(三)  しかし、二つの曲が類似しているというだけでは一の曲が他の曲の存否、内容を知らなければ作成できないものであるとはいえないので、乙曲の第一ないし第三動機が甲曲の第一ないし第三動機を知らなければ作成できないものであるかどうかについて検討する。

属啓成が作成したことが当事者間に争いがない乙第一〇号証には、「乙曲の第一、第二動機は甲曲の第一、第二動機に類似するが、両者とも慣用句としての音型の連続にすぎず、偶然の一致の可能性が多い楽句だと信ずる。」旨の同人の意見が記載されている。

原審鑑定人服部正は、「甲乙両曲の第一動機は属音(「ミ」)から始つて主音(「ラ」)で終る短調の旋律としては珍らしい形ではない。両曲の第三動機は短調の曲の中で他調に転調する場合のトランジシヨンとしてよく使われるものである。」旨供述し、それぞれ実例を挙げている。

原審鑑定人、当審証人池内友次郎は、「乙曲の第一ないし第三動機はいずれも極めて平易な音楽的進展から生れ得るものである。」旨供述している。

当審鑑定人、当審証人服部龍太郎は、「乙曲の第一動機のように、短調の主音(「ラ」)に落着くに先立ち、属音(「ミ」)を主軸として上下に半音づつ移行し旋回する旋律断片は、日本流行歌特有の「小ぶし」に用いられるように、非常に親しまれているものであつて珍らしいものではない。乙曲の第三動機の上向楽句は、第二部分に第一部分とは対照的な動きを求めた結果と考えられ、むしろ安易な作曲法に属する。したがつて、これらの部分が甲曲に類似していても、それは無意識的に起る可能性が十分にあり得る。」旨供述している。

当審鑑定人、当審証人古関裕而は、「乙曲の第一動機のように、短音階の属音(「ミ」)を中心に半音上の第六音(「フア」)と半音下の嬰下属音(「レ#」)の間を上下する旋律は、他の作曲者の作品にも多数みることができ、乙曲の第一動機の第六音以下の下がり方は自然である。したがつて甲曲の第一動機を見て乙曲の第一動機が書かれたとは思われない。乙曲の第二動機の第四ないし第八音は短音階の単なる下向型であり、これと同じ形の旋律は無数にある。乙曲の第三動機は和声的音階の単なる上向形で、この種の形の楽曲も無数にある。」旨供述している。

これらの各証拠を総合すると、乙曲の第一ないし第三動機は、いずれも甲曲の第一ないし第三動機を知らなければ作成できないものではないと認めるのが相当である。

なお、乙曲の第一三ないし第一六小節、第二五ないし第二八小節、第二九ないし第三二小節の旋律が甲曲にみられないものであることは、控訴人の自認するところである。また、乙曲の第九ないし第一二小節、第二一ないし第二四小節の旋律は、控訴人の主張によれば乙曲の第一動機の変奏旋律である。したがつて、第一動機が前認定のとおり甲曲を知らなければ作成できないものでない以上、これらの旋律も甲曲を知らなければ作成できないものでないことが明らかである。そうすると、乙曲全体が甲曲を知らなければ作成できない程甲曲に類似しているとはいえないことになる。

もつとも、諸井三郎が作成したことが当事者間に争いがない甲第一〇号証には、「乙曲の第一、第二動機は殆ど一〇〇パーセント近く甲曲の第一、第二動機に類似し、乙曲の第三動機は甲曲のそれの完全な模倣である。この強度の類似は意識的に行われたものと判定せざるを得ない。」旨の同人の意見が記載されている。しかし、この意見は前記各証拠と原審証人諸井三郎の証言に照らし採用できない。また、当審証人紙恭輔は「乙曲の第一動機は甲曲のそれと全く同一である。」旨証言しているが、その趣旨、理由については何も供述していないので、この証言も前認定の妨げとならない。そして、このほかに前認定を妨げるに足りる証拠はない。

また、控訴人は、甲乙両曲ともに弱起、二拍子、三部形式で作曲されているところ、甲曲はその歌詞にこれらの要素が内在しているのに対し、乙曲の歌詞にはそのような要素は内在していないから、このような両曲の符合は偶然に生じたとは考えられない旨主張し、控訴人代表者は当審においてこれに沿うように供述しているので、按ずるに、乙曲が弱起、二分の二拍子であることは前記第二楽譜により明らかであり、乙曲が前記第一ないし第三部分の三部分からなることは前述のとおりであり、また、弁論の全趣旨によれば、控訴人主張の三部形式とは乙曲のこのような形式をいうものであることも明らかである。しかし、原審鑑定人服部正、服部良一、当審証人服部龍太郎の供述によれば、弱起、二拍子で三部分からなる楽曲はほかにいくらもあり、特にわが国の流行歌では弱起、三部分からなる形式の楽曲が多数あることが認められるし、乙曲の歌詞に弱起、二拍子、三部分からなる形式で作曲することが特に不自然であるとは認められない。したがつて、控訴人代表者の右供述ならびに控訴人の右主張はいずれも採用することができない。

五以上のとおりであるから、被控訴人鈴木が乙曲を作成した当時甲曲の存在、内容を知つていた事実を認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。したがつて、控訴人が主張するように、同被控訴人が控訴人のA楽曲に対する著作権(改作権)を侵害したとはいえず、乙曲はA楽曲の改作物とはいえないことが明らかである。よつて、乙曲がA楽曲の改作物であることを前提とする控訴人の本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく、失当として棄却すべきである。

第二乙事件の判断

一当裁判所は、原判決三八枚目表八行目「しかしながら」から同裏九行目「ものといわなければならない。」までを次項二、のとおり変更するほかは、原判決と同一の理由により控訴人等の請求を失当であると認めるので、これを引用する。ただし、原判決三六枚目表三行目「B楽曲」の次に「のうち乙曲」を加え、同四行目「B楽曲」、「偽作」をそれぞれ「乙曲」、「改作」と訂正し、同五行目「B楽曲」の前に「乙曲に伴奏および前奏部分を加えた」を加え、同七行目「これを作曲した」を削除する。

二しかしながら、甲曲およびB楽曲を吹込んだレコードまたは録音テープを再生して両曲の演奏を対比すると、両曲が似ているような印象を受けることは甲事件について述べたとおりである。そればかりでなく、両曲の楽譜を検討し、甲事件について認定したように、乙曲の第一ないし第三動機を構成する旋律を、節奏を二分の一にしニ短調に移調して、甲曲の第一ないし第三動機を構成する旋律と比較すると、第一動機の八音中最初の五音は同じであり、最後の一音は一オクターフ違うが同音である。第二動機の八音は同じである。第三動機の八音中最初の七音は同じである。

このような事実に基づいて考えると、音楽の専門家ではない被控訴人等が乙曲は甲曲の改作物であり偽作物であると考えるのは、一層無理からぬことといわなければならない。原審鑑定人、当審証人池内友次郎が結論としては「B楽曲がA楽曲の盗用による偽作であるとは断定できない。」としながらも、「B楽曲がA楽曲の偽作であるということは常識的には十分に断定し得る。」と供述しているのもこれを裏付けるものといえよう。しかも、原審証人諸井三郎の証言、原審および当審における被控訴人北川本人の供述によれば、被控訴会社が訴を提起するについては、事前に音楽専門家の意見をきいていることが窺われる。したがつて、被控訴会社の主張した事実が虚偽であることについて、被控訴人両名に故意または過失があつたとは認めることができない。

もつとも、当審証人川村勝通の証言および原審における控訴人鈴木本人の供述によれば、被控訴人北川は昭和三八年一二月頃控訴人鈴木を米国人コチヤードに紹介し、B楽曲の著作権を同人に譲渡するようにすすめたことが窺われないではない。しかし、このような事情を考慮しても、被控訴人両名に前記のような故意または過失があつたとは考えられない。

そうだとすると、被控訴会社の訴の提起について、被控訴人両名が不法行為責任を負わなければならない理由はない。

第三結論

以上説示したとおり、甲事件における控訴人の請求および乙事件における控訴人等の請求は、いずれも失当として棄却すべきであるから、これと同趣旨の原判決は正当である。よつて、本件各控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(杉本良吉 瀧川叡一 宇野栄一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例